有田焼 しん山(新日本製陶株式会社)のご紹介

かつて佐賀・長崎にまたがる地域は「肥前」と呼ばれ、現在も多くの窯元が残る陶磁器の産地です。
肥前吉田焼の起こりは、天正5年(1577年)、吉田村を流れる羽口川の上流、鳴谷川の川底で、白く光る石を発見したことに起因します。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、多くの朝鮮陶工を連れ帰った佐賀県藩主の鍋島直茂は、慶長3年(1598年)、そのうちのひとりを吉田へ送り、陶磁器を作らせました。
享和年間(1801~1804年)に入るとさらに事業は拡大し、食器などの生活雑器を中心に肥前吉田焼は繁栄します。明治時代には旧士族を中心とした陶器製造会社「精成社」が設立され、中国や朝鮮へ販路を拡大していきました。
当時、肥前にはいくつもの藩があり、鍋島藩で作られたやきものは有田焼として分類されてきた経緯があります。有田の赤絵町を中心としたエリアを内山、その周りを外山、さらに周りを大外山と呼び、この大外山に位置する肥前吉田焼もまた有田焼と同様400年の歴史を誇るやきものです。

新日本製陶では、完璧な量産体制で日用食器の製造販売を行っています。
主に花柄の土瓶や急須を得意とし、独自の販売ルートで全国に商品をお届けしています。
染付、銅版転写、赤絵など手作業によるものづくりを効率的な工程で行い、大量生産およびスムーズな出荷を実現しています。

「有田焼窯元 しん山」
会社名 新日本製陶株式会社
所在地 佐賀県嬉野市嬉野町大字下野甲2304-1
工場・本社ショールーム・絵付体験
連絡先 0954-43-9201
営業時間 午前8時~午後5時
工場見学時間 午前9時~午後4時
えくぼとほくろ 販売時間 午前9時~午後4時